佐藤寛朗が差し出した名刺には「リンガーハット 体操競技部 監督」と記されていた。「肩書は“監督”なんですけど、自分としては“コーチ”という感覚が強いんですよね」。さて、「佐藤監督」と書くべきか、「佐藤コーチ」と書くべきか。少しの逡巡(しゅんじゅん)の後に言った。「コーチでいいですよ」。だから、当欄では「佐藤コーチ」と表記する。
体操界初のプロ選手となった内村航平にとって、必要不可欠な存在である。
【出会いは20年前】
内村の1学年下の28歳に、記憶をたどってもらった。「初めて会ったのは僕が小学2年の時だったと思います」。20年前の97年夏休み、佐藤コーチが在籍していた東京・朝日生命での合宿に、内村が地元の長崎から参加した。同じ班で約2週間、汗を流し、すぐに意気投合。小学校の低学年同士、2人にまだ上下関係の概念はない。佐藤コーチは内村を「こうへい」と呼び、内村は佐藤コーチの名前の寛朗(ひろあき)から「ひろ」と呼んだ。
夏が終わって離ればなれになっても、交流は続く。「ジュニアの時は僕の方が強かったんですよ」と笑う佐藤コーチは中学2年の03年、全日本ジュニアの個人総合で2位。翌年、中学を卒業した内村は上京して東洋高に進学し、憧れの塚原直也氏がいる朝日生命に入った。もちろん、そこには佐藤コーチもいた。同年、「ひろ」は「こうへい」よりも早くナショナル合宿に参加する。「合宿って、どんな感じ?」。まだ代表レベルには程遠い内村から、電話がかかってきたこともある。
【輝く内村の陰で】
高校卒業後、内村は日体大へ、1年後、佐藤コーチは明大に進学。日体大2年時の08年、内村は北京五輪の個人総合で銀メダルを獲得した。09年には世界選手権で金メダルし、連覇ロードがスタートする。「こうへい」がまぶしいスポットライトを浴びる一方、「ひろ」は左手首の骨折など故障に苦しみ、体操選手として暗闇の中にいた。
11年、「ひろ」に転機が訪れる。オーストラリア・ブリスベンに拠点を移していた朝日生命の大先輩、塚原氏をサポートすることだった。
現地に帯同し、塚原氏の練習などに付き添った。そんな中、芽生えた「いつかコーチになれたらいいな」という思い。12年に明大を卒業すると朝日生命に入社し、オーストラリアと日本を往復する生活を送った。佐藤コーチの現役最後の試合は13年11月2日。全日本団体選手権の予選で、得意だった床運動と鉄棒で演技した。
【運命を感じた日】
13年で朝日生命を退社し、14年からブリスベンでコーチ修行を始めた。語学学校に通い、体操クラブでのアルバイトで子供たちを指導した。「最初の1年はホントに苦しくて、濃い1年でした」。オーストラリア国籍を取得していた塚原氏を支え、16年リオデジャネイロ五輪出場を夢見ていたが、代表入りはならなかった。
塚原氏は16年3月に現役引退を決断。リオ五輪後の8月下旬にオーストラリア・メルボルンで引退セレモニーが行われた。佐藤コーチは現地で、塚原氏の感謝のスピーチを通訳。翌日、自宅があるブリスベンに戻ると、内村から連絡がきた。「プロになろうと思っている。そうなった場合、ひろにコーチに付いてほしい」。塚原氏との夢が終わったタイミングで、新たな夢が動きだした。「今考えると、運命を感じますね」と佐藤コーチは当時を振り返る。
【敬語にチェンジ】
突然のオファーに、佐藤コーチは即答を避けた。オーストラリアに移住して、3年足らず。「簡単に日本に帰る選択はしたくなかった」。悩む日々。日本は秋へ、オーストラリアは春へと季節は進む。「僕がコーチを断ったら?」。佐藤コーチが聞くと、内村は「本当に、ひろしかいない」と答えた。「そこまで言ってもらえて、凄くうれしかったです」。覚悟を決め、年末に帰国した。
コーチ就任に伴い、「こうへい」という呼び方は「航平さん」に変わった。「親しすぎると支障が出ると思うんで、敬語にさせてください」。佐藤コーチの申し出に、内村は「やだ」と渋ったが、今は体育館の内外で常に敬語を使う。逆に内村は、佐藤コーチに願い出た。「金メダリストと思わないでくれ」。世界一の選手に対して抱きがちな遠慮は必要ない。言葉遣いを変えた一方で、以前と同じ何でも言い合える関係は維持すると決めた。
【距離感を大切に】
佐藤コーチが大切にしているのは距離感だ。6種目を通すような本番さながらの練習では、内村の集中を妨げないよう、物理的にも心理的にも、あえて少し離れた場所で見守る。特定の種目を重点的にトレーニングする場合は、積極的に声をかけて盛り上げ、リラックスを促す。今年からのルール変更と内村のコンディションを考慮し、ベストの演技構成をともに練り上げていく。
内村のプロ初戦となった4月の全日本選手権。平行棒で大きなミスがあった予選は、まさかの4位だった。佐藤コーチは動じず、いつもと同じ声色で言った。「久々の試合だし、こうなることは予想してました。1回やっとけば、次は大丈夫なんじゃないですか?」。ふがいない自らの演技に怒りを抱いていた内村は、「あの言葉で開き直れた」と振り返る。決勝では田中との0・050点差の接戦を制して、前人未到の10連覇を飾った。
21日のNHK杯、今秋の世界選手権、そして集大成の20年東京五輪へと道は続く。「あれだけの選手と一緒に仕事ができるのは、ホントに光栄です」と言う佐藤コーチは、「東京が終わるまで“航平さん”ですね」と笑った。出会ってすぐに打ち解けた2人は今、選手とコーチという立場で同じ夢を追う。20年前には想像もできなかった物語にはきっと、黄金のエピローグが用意されている。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170507-00000092-spnannex-spo
内村航平の東京五輪での活躍が期待される!
2017/05/07 11:06
東京五輪楽しみにしています!
2017/05/07 11:14
2017/05/07 11:19
体操選手は宿命的にピークが短いけど、その中で驚異的に長い間活躍をしているのも内村選手の凄みだと思う
東京でも活躍してほしいけど、ただただ体を大事にすることを一番にしてほしい
日本の宝には、幸せになってほしいから
2017/05/07 11:20
スポンサーに地元のリンガーハットを選んだのは、お金じゃなくてあらゆる想いをエネルギーにしたいと言う内村の覚悟なんだよな。
2017/05/07 11:23
2017/05/07 11:25
再び「お家芸」の火をつけてくれたのが冨田洋之さん世代。
この火を消す事のない様に内村選手には日本の体操を牽引してほしい。
2017/05/07 11:27
2017/05/07 11:39
2017/05/07 11:46
此の親にして此の子あり!
2017/05/07 11:49
2017/05/07 11:49
2017/05/07 11:57
デカチ○ポが技の切れ味!
2017/05/07 12:02
2017/05/07 12:02
2017/05/07 12:06
2017/05/07 12:08
2017/05/07 12:08
影があるから光が輝く
2017/05/07 12:08
2017/05/07 12:09
2017/05/07 12:11
アホなジャリタレは、タレントじゃあないの。
2017/05/07 12:13
2017/05/07 12:16
内村選手の求める美しい体操、楽しみにしています。
2017/05/07 12:17
2017/05/07 12:22
2017/05/07 12:22
これこらも、コーチや仲間と体操を引っ張っていってほしいです
2017/05/07 12:22
コーチと一緒に東京オリンピックの活躍期待しています!
2017/05/07 12:25
あまり期待するとプレッシャーになるのかな?
陰ながら応援しておきます
2017/05/07 12:30
2017/05/07 12:30
東京までも、その後も、素敵な関係が続くのでしょうね。
やっぱり世界を目指す人と、それを支える人たちはの人生は、物語になりますね。
2017/05/07 12:30
2017/05/07 12:33
怪我の無いように。悔いの無いように。
2017/05/07 12:35
素晴らしいですね。
2017/05/07 12:35
稲垣と同じオヤジかと思った。
2017/05/07 12:37
二人三脚で東京オリンピックに向かって頑張って下さい。
応援しております。
2017/05/07 12:39
2017/05/07 12:40
充分に経験を積んだ内村選手にとって、精神的支柱になるのは、誰よりも信頼出来るひろさんだったのでしょう…
お二人が東京オリンピックで成功するように心から祈っています(*-ω人)
2017/05/07 12:42
皿うどんも良いね。
女性1人でも結構店内で食べてますね。
2017/05/07 12:42
同じ釜の飯を食う、いわば戦友のような、お互いを切磋琢磨しあえる仲間がいるのは本当に羨ましいです。
2017/05/07 12:45
ちょっとした文章表現を変えるだけでもっとわかりやすくなると思う。
2017/05/07 12:54
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