高倉照幸が83歳に死去!葬儀は家族のみ?

高倉照幸

プロ野球・西鉄ライオンズの黄金期に1番打者として活躍した高倉照幸(たかくら・てるゆき)さんが12日、福岡市内の病院で死去した。83歳だった。葬儀は家族のみで営む。

福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれで、熊本商業高から1953年に西鉄に入団。翌54年から外野手で1軍に定着し、故豊田泰光さん、中西太さん、故大下弘さんらと強力打線の一翼を担った。56~58年には故三原脩監督の下で3年連続日本一に貢献。63年には当時のプロ野球タイ記録となるシーズン6本の先頭打者本塁打を記録した。

その後、巨人、ヤクルトなどを経て70年に引退。通算打率は2割7分6厘、本塁打は168本で、ベストナインには3回輝いた。

引退後はRKB毎日放送などで解説者を務め、少年野球の振興にも尽力した。

高倉さんは、毎日新聞社会面で昨年連載した「西鉄ライオンズ 最強伝説」の取材の中で「三原さんの戦術、良い選手がたくさんいて、勝って当然という感じもありましたよ」と振り返っていた。

出典:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180213-00000007-mai-base

 

高倉照幸が死去したことに対する意見

 

名無しさん
2時間前
高倉さんは故郷・九州を誰よりも大事にしていた。原点は西鉄だが、先日の巨人ホークスOB戦でかつてライバルだった南海ユニを見れたことで、これで俺もという思いがあったはず。
ご冥福をお祈りいたします。福岡ドームが連日満員御礼であるのは、あなたたち野武士軍団の功績あってですよ!
名無しさん
5時間前
身体が小さいのによく打った印象がありました
名無しさん
4時間前
西鉄ラインナップの生き残りは中西さんだけになってしまった。
名無しさん
1時間前
正直、お名前くらいしか存じ上げない世代ですが、当時の西鉄ライオンズと言えば三原監督のもと、鉄腕稲尾、怪童中西、青バット大下、「流線型」豊田と濃すぎるメンバーがゴロゴロいて、あの仰木彬氏ですら小さく見えた、というもの凄い時期に外野の中心で、しかも切り込み隊長でいられた方だという事は有名です。
今でもあのころ(昭和30年代初め)の西鉄が史上最強、という声が強く上がるほどですもんね。
日本プロ野球の中興の祖の、間違いないお一人として長く記憶されると思います。
ご冥福をお祈りいたします。
名無しさん
2時間前
寂しいな糖尿に苦しんでいる太さんだけになっちゃった。
名無しさん
5時間前
仰木、稲尾、豊田、高倉…
残された中西さん悲しいやろうなぁ…
御冥福をお祈りいたします。
名無しさん
5時間前
栄光の西鉄ライオンズの灯がまたひとつ消えた・・・ご冥福をお祈りいたします。
名無しさん
3時間前
西鉄ライオンズが遠くなる。
合掌
名無しさん
4時間前
西鉄の斬りこみ隊長にして、大変なカーマニアだったらしいですね…強かった西鉄になくてはならない人でした。合掌
名無しさん
5時間前
合掌。
名無しさん
5時間前
ライオンズの斬り込み隊長。おつかれ様でした。
名無しさん
4時間前
西鉄の黄金期には、必要不可欠な選手だったなあ。
名無しさん
4時間前
懐かし名前だ、最後に讀賣に行ったのが惜しまれれる。